幼少期に愛情に飢えていたことの弊害

潜在意識

 

こんにちは、くろねこです。

みなさんは子供の頃から
両親に愛されてると実感して
育ってきましたか?

わたしはそうじゃなかったなと思う。

子供の頃の記憶って
あんまり鮮明じゃなくて
写真で見ると思い出すけど
これといって思い出はたくさんない。

でもわたしは子供の頃に母に
「わたしのこと好き?」と
よく聞いていたのを覚えている。

愛されているのか
確かめていたんだと思う。

わたしの両親は自営業で
仕事の休みが固定ではなく、
毎日仕事をしていた。

だから家族で出掛けたり外食したり、
旅行に行ったりした記憶が全くない。

家族写真なんてものは
ないかもしれない。

笑顔に溢れた
家族団欒というのもなく
父は仕事人間で
わたしたち子供のことには
無関心だったように感じていた。

父と喋ることなんてほとんどないし、
小学5年生のときには
離れて暮らしていたのもあり、
会っても何を話して良いのか
全く分からなかった。

子供の頃は
父に怒られた記憶もないし、
褒められた記憶もない。


そんな幼少期だったから
愛されてると実感出来ていなくて
自己肯定感は低いし
自分に自信もなく育ってきたように思う。

それによって弊害を生じていると
大人になって感じることがある。

それは
「分かりやすく愛されていると実感したい」
という気持ちが
自分の中にあると感じたから。

離婚してから
愛情表現は人それぞれだと分かって
「好き」「愛してる」とか言葉にすることだけが
愛情表現ではないと学んだけど、

言葉にしてくれないのは
愛されていないから、

時間を使ってくれないのは
愛されていないから、

セックスレスになるのは
愛されていないから、

そんな風に
固定観念のようなものがあった。

言葉にして欲しい、
自分から行動して欲しい、
相手からしてくれることばかり
求めていたなと思う。

元旦那さんに対して

「家事してくれない」
「夫婦の時間作ってくれない」
「褒めてくれない」
「感謝されない」

“してくれないこと” ばかりに
フォーカスしていた。

自分から褒めたり、
感謝したりしようとしないくせにね。

愛されているって実感出来ないと
相手にも同じように返せない状態になっていた。

そんな状態だったことを
離婚してから客観視できるようになって
愛情に飢えていたんだなと
認識できたように思う。

離婚してなかったら
気付けていなかったことかな。

愛情に飢えていたことを
両親のせいにするつもりはない。

両親はそれぞれが
自分の思う愛情表現をしていたのだと思う。

周りに愛されていると
実感できることも
確かに必要なことではあるけど

でもやっぱり
1番大事なことは
自分を自分で満せる力なのかな。

潜在意識
スポンサーリンク
スポンサーリンク
╲ Follow me /
スポンサーリンク
離婚してもひとりでもHappy Life☺︎